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by yuuchinpuutan

罪の聖め。

"「ある人のからだの皮膚に腫れもの、あるいはかさぶた、あるいは斑点ができて、からだの皮膚にツァラアトに冒された患部が現れたときは、彼を祭司アロンのところか、アロンの子らで祭司の一人のところに連れて来なければならない。"
(レビ記 13章2節)

聖書通読レビ記13章

ツァラアトに冒された人は汚れた者とされ、隔離され、宿営から追放されます。

それを診断するのは祭司の働きでした。13章はツァラアトであるか、無いかを見きわめる医学書のようです。

ツァラアトは伝染するので、隔離は仕方がありませんが、「汚れた者」とされるのは、辛いことです。当時、そのツァラアトが象徴していたものは罪、汚れであったからです。

現在は医学によって、それはその人の罪からではないことが分かっています。

しかし、わたしたちはこのツァラアトから自分の罪の問題を考えます。

わたしたちは大祭司のイエス様に、わたしたちの中の 罪を調べてもらわなければなりません。

わたしたちはイエスさまを信じて罪が赦され、聖霊をいただきました。
ですから、わたしたちにとって大事なことは、まだわたしたちの心の中にツァラアトのような罪がないか、みことばによって調べていただき、あった時、わたしたちは、悔い改めによって聖めていただかなければなりません。
しかし、わたしたちは聖められても、聖められても、また、醜い肉の思いが出てきます。

そして、まだ罪の傷が直っていなかったことに気づきがっかりします。

しかし、主はわたしたちがクリスチャンになってからは益々傷を持っているわたしたちを、受け入れ愛してくださいます。
そしてその罪を聖めてくださるのです。

詩篇 139篇23~24節でダビデが主に叫んでいます。
"神よ私を探り私の心を知ってください。私を調べ私の思い煩いを知ってください。
私のうちに傷のついた道があるかないかを見て私をとこしえの道に導いてください。"

わたしもダビデの祈りを神様にお捧げいたします。

ハレルヤ!天のお父様、御名をたたえます。
わたしたちは罪の性質ゆえに、過去の傷がいたみ、顔を出し苦しい時がありますが、主の前にその罪を隠さず出して、神様からの慰めをいただいて、再び主の道を歩ませてください。
今日もみことばを感謝し、救い主イエス様の御名を通してお祈りいたします。

アーメン!

2018 12/12

写真
渋谷
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by yuuchinpuutan | 2018-12-12 09:41